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少年サンデー伝説インタビュー

vol.4 石渡治

 今年で創刊から58年になる「週刊少年サンデー」。 創刊50周年を前にした2008年から2009年にかけて「サンデー」を代表する各世代の人気マンガ家たちに行い、 長く埋もれていたインタビューを初公開する。 第3回は80年代に『火の玉ボーイ』や『B・B』を 連載した石渡治先生だ。

インタビュー・構成/伊藤和弘
石渡治

1959年、神奈川県横須賀市生まれ。79年、第3回小学館新人コミック大賞佳作の『THE CLOSED COMPANY――鎖国』でデビュー。80年、「サンデー」に『スーパーライダー』の連載開始。89年、『B・B』で第34回小学館漫画賞を受賞。マンガ家のよしもとよしともは実弟。現在、「漫画アクション」で『Odds“VERSUS!”』連載中。

「サンデー」連載作品
『スーパーライダー』(80)、『火の玉ボーイ』(82)、『B・B』(85)、『“LOVe”』(93)、『パスポート・ブルー』(99)


マンガ家には、黙っててもオレなれるし
  • ――
  • 石渡先生の作品はスタイリッシュでアメリカ的なバタ臭さもあり、いかにもヨコスカ生まれという気がします。小さい頃はどんな子どもだったんですか?
  • 石渡先生:
  • 絵の得意な子でした。小学校でも、絵がうまいと一目置かれたりするじゃないですか。適当に描いてるだけで図工はずっと5、みたいな感じで(絵は)ナメきってました。だから、子どもの頃いちばんなりたかったのはマッド・サイエンティスト(笑)。地下室にいて、すごい研究をしてる。メチャクチャ憧れましたね。次になりたかったのが絵本作家かSF作家。その次がマンガ家だと思ってた。
    マンガはずっと読んでるんですよ。年上の友達が「サンデー」「マガジン」買ってくるでしょう。小学校に入る前から、それを読んでいた。僕はマンガで字を覚えましたから。「ジャンプ」と「チャンピオン」も創刊号から読んでいます。親父の弟がベース(米軍基地)に働きに行ってて、アップルパイなんかと一緒に色の着いたアメリカン・コミックも買ってきてくれた。読むだけじゃなくて自分でも描いてたし、だからマンガ家には「黙ってても、オレなれるし」という思いが根っこにあったんですよ。マンガ家を下に見ていたわけじゃなくて、それよりも絵本作家やSF作家になりたかったということです。
    中3か高1のとき、「少年サンデー」の新人賞、新人コミック大賞の前身みたいなやつに出したら、最初は選外佳作で、次に佳作に入ったんですよ。「やっぱ、オレいけんじゃん」って。それから、ときどき「サンデー」の編集者から「次のできた?」とか、電話もかかってくるようになりました。
  • ――
  • 早熟ですね! 本気でマンガ家になろうと思ったきっかけは何だったんですか?
  • 石渡先生:
  • 高3のときです。高校では1年のときから体育祭でデコレーション組に選ばれて、ベニヤ板に絵を描いたりマスコットを作ったりしていました。3年のときボスになって、エアブラシを使って林静一の「金太郎」を描いた。他のヤツらは「林静一って誰?」「エアブラシって何?」みたいな感じですから、僕からすれば全員アシスタント扱いですよ。
    自分では最高の出来栄えだと思った。ただ、絵に凝った分、動く部分が少なかったんですね。目が動くくらいで。4チーム対抗なんだけど、他のチームは絵がダメな分、アイデアで勝負してくるわけですよ。そしたら、うちのチームがなんと最下位になって!
  • ――
  • ハハハハハ!
  • 石渡先生:
  • ちょっと待て、と(笑)。オレにこんなことして、タダで済むと思うなよと。そのリベンジで「マンガ家になろう!」と思った。それがなかったら、そんな気持ちにはならなかったと思うんです。
    大学は日本大学の文理学部物理学科。とりあえずマンガ家にはすぐなれるから、大学行ってる間にマンガ描きつつSF小説も書いて、大学卒業する頃にはすごい著名人になってて『徹子の部屋』に呼ばれるとか、いろいろ妄想してたわけですよ(笑)。
    大学1年の夏休みに『鎖国』を描いて、小学館の新人コミック大賞佳作を獲りました。マンガを描いて、デートして、さらに友達と遊びにも行って。大学は夏休みなのに、ほとんど寝なかった記憶があります。
「サンデー」に応募した理由
  • ――
  • 高校時代からそうだったようですが、なぜ「サンデー」の新人賞に?
  • 石渡先生:
  • 「マガジン」にも「ジャンプ」にも好きなマンガはたくさんあったけど、中でも根っこ的に好きという作品が「サンデー」に多かったんです。園田光慶の『あかつき戦闘隊』とか、石井いさみの『くたばれ!!涙くん』とかね。「サンデー」の洗練された絵が好きだった、ということもあるのかな。「マガジン」はもっとリアルで、土に根差した感じがあったでしょう。それに比べて「サンデー」は泥臭くなくて、スタイリッシュでセンスがいい。それが自分に合っていたように思うんです。友達の間で、僕が「サンデー」を買う役割だったこともあると思うけど……。結局、「サンデー」に愛着があったということですかね。
  • ――
  • 『B・B』の冒頭(第2話)で、「B・B」の由来を「バーニング・ブラッド」だと聞いた体育教師が「熱血か?」と言い、主人公たちに失笑される場面がありますね。
  • 石渡先生:
  • 僕の世代はシラケ世代と呼ばれています。醒めてる。熱くならない。「根性」なんて死語で、クールな感じが好き、みたいなのがあったと思うんですよ。僕自身も斜に構えたところがあったし。
    だけど、「主人公が熱い」と言われることが多いんです。特に意識してるわけじゃなくて、自分で面白いと思うものを描いてるだけなんですけどね。もっとも、人が“本気になる”というのは、そういうことだと思います。普段はいくら斜に構えていても、本気になれば熱血になっちゃうだろうと。僕の描くキャラも自然にそうなってるんですよね。
  • ――
  • 当時は「ヤングジャンプ」や「ヤングマガジン」が創刊された頃ですが、青年誌に応募しようとは思わなかったですか?
  • 石渡先生:
  • 青年誌は全然読んでなかった。だから、そっちに応募するという考えはまったくありませんでした。4歳下の弟の(よしもと)よしともは昔から青年誌中心。あいつの場合は素直に「お前は少年誌じゃねえよな」という感じだったからいいんですけど、一般的にはやっぱり少年誌は経験したほうがいいと思います。
    10代の読者というのは、いちばん敏感でしょう。大人以上に理解しようとするし、大人以上に文句も言うんですよ。そういうお客相手にまともな商売しようとすれば、かなり肝をすえてやらなきゃいけない。青年誌に比べてお客がシビアなんですよね。それに最近の青年誌は休載が多いでしょう。「青年誌はぬるいな」という感じですよ。
    デビュー当時はトンガリ小僧。横須賀というガラの悪い土地で育ったこともあって、根拠のない自信みたいなものはでかかったんですよね。「手塚治虫以外、ライバルなんていねえよ」と思っていたくらいで。仕事を続けていくうちに、ピノキオみたいに高かった鼻がボキッとへし折られるわけですけど(笑)。
『火の玉ボーイ』の舞台は出身校がモデル
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  • 新人コミック大賞で佳作に入り、その年のうちに「サンデー増刊号」で『ラグタイムブルース』の連載を始めました。
  • 石渡先生:
  • そうですね。『ラグタイムブルース』始めて、半年くらいしてから「週刊連載やるか?」と言われて、本誌に『スーパーライダー』を連載するようになりました。ええ、月刊と週刊、同時連載ですよ。同時連載は編集者に強制されたことでもあったけど、こっちにも事情があって。デビューするとき彼女が妊娠していて、大学2年のときに結婚したんです。食わなきゃいけないじゃないですか(笑)。
    『ラグタイムブルース』はもともと僕の好きな音楽の世界。「こういうの描けるのは、少女マンガ家何人かとオレくらいしかいないな」と思ってた。でも『スーパーライダー』は向こう(編集部)の企画です。デスクのアイデアらしかったですね。タイトルも最初から決まってたんです。『スーパーライダー』って聞いたときは「ダサッ!」て思いましたよ(笑)。
  • ――
  • その次が『火の玉ボーイ』。私は当時高校生で、愛読していました。
  • 石渡先生:
  • 舞台の高校は、まんま僕が通ってた県立校のイメージなんですよ。ゆるーい学校で、もちろん校則はあるんだけど、髪の毛伸ばしてても何にも言われなかったし、僕は一日としてまともに朝から行ったことがありませんでした(笑)。デビューした当時、『翔んだカップル』とか学園もののラブコメが人気あったんだけど、僕には身近すぎて学園ものなんて描けなかったんです。だけどデビューして何年か経つと、客観的に料理できそうな気がしてきた。しかも、「オレだったら、人とちょっと違った学園もの、描けんじゃねえ?」みたいなね。それで始めたのが『火の玉ボーイ』。主人公のタマは「ポパイ」のイメージです。ホウレンソウの代わりにステーキ、トンカツという。
  • ――
  • ヒットしましたよね。出世作といっていいんじゃないですか?
  • 石渡先生:
  • まあまあ人気出たけど、そんな大ヒットしたという感じはないですね。部数で言えば、この後の『B・B』のほうが売れたはずだけど、それにしたって単行本1巻につき30万部くらいだったと思うんですよ。
     この当時、あだち(充)、高橋(留美子)というのは、僕の表現で言うと「神棚のメロン」だったんです。手が届かない。それに対して、僕は「食卓のバナナ」だろうと思ってましたから。だって、あだちさんの中ではあまりパッとしなかった『虹色とうがらし』を描いてた頃かな、あだちさんと飲んでると、「ダメだよ。オレ、もう売れねえよ」と言うわけですよ。「だって初版60万部だぜ」って。「え、ちょっと待ってよ!」と思いましたから(笑)
    。僕、初版60万部なんて出たことないですよ。それで「売れなくなった」とか言ってるんだから、もう別次元ですよ!
  • ――
  • うーん、すごいですね。
高橋留美子は「心の師匠」
  • 石渡先生:
  • 高橋留美子先生とメシ食ったり酒飲んだりする機会も多くて。僕にとって、あの人は「心の師匠」みたいなところがあるんです。これは人から聞いた話なんだけど、大泉学園の駅前にできた映画館に行くのが楽しみだそうなんです。それが安いレディース・デイに行くんだって。高橋留美子なんだからお金なんか気にせず、普通のすいてる日に行きゃあいいじゃん、と思うじゃないですか。そういう人なんですよ。
    留美子先生には、いろいろと教えを受けました。
    『B・B』描いてるとき、傭兵になった主人公が狂いそうになって、ドラッグを目の前にする回があったんです。打たせるか打たせないかでメチャクチャ悩んだ。少年誌ということは意識してなかったから、どっちもアリなんですよ。ずっと答が出なくて、いつもならスラスラ書けるネームが全然書けないんです。それで留美子先生に電話したら、「書けないということは間違ってるんですよ」と言われた。「書いてみて、書けたほうを書けばいい」と。もうひとつ、留美子先生の言葉で印象に残っているのは「マンガ家になれる才能」について。「一日中でも机の前に座っていられること」だと。至極、名言だと思いますね。
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  • お話に出た『B・B』はいろいろな部分で少年マンガの枠を超えた問題作ですが、どのように生まれた作品なのでしょう?
  • 石渡先生:
  • もともとジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』にインスパイアされて生まれたんです。敵対してるんだけど、こいつがいるからがんばれるという関係。それが「(主人公の)高樹と森山」ですよね。その関係を軸に、でかい話ができないかと考えた。「傭兵編」は『ベン・ハー』なんですよ。ベン・ハーがガレー船に乗って帰ってくる、あのイメージです。
     あと、僕の中では『あしたのジョー』もでかくて。「ジョー」を超えるボクシングマンガは描けないから、別のところから攻めていこうという思いもありました。ボクシングはやるんだけど、描きたいのは『ケインとアベル』であり、『ベン・ハー』だった。だから、『B・B』は最後まで「ボクシングマンガ」とはうたわなかったんですよ。「ボクシングマンガ」と銘打っちゃうと、「ボクシングやってなきゃダメじゃん、となっちゃうから、それやめて」みたいな。「基本、男のドラマだから」みたいな。
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  • ボクシングの大会に出ていた主人公が人を殺して逃亡。その後、海外で傭兵になる、という予想もつかない展開が衝撃的でした。
  • 石渡先生:
  • そこは最初から考えていました。編集者に話したら猛反対されたんですよ。「いいんだよ。ボクシングマンガじゃねえんだから」と説得して。少年誌ということは、あまり意識してなかったですね。描きたいものを描くというだけ。とにかく、「人がやってないことをやりたい」というトンガリ小僧の部分が強かったですから。また、それが許される状況もあったんです。今、読み返してみると、「とんでもないもん、描いてんな」というのはありますよ(笑)。PTAから苦情が来たような話も聞いた。でも全然、気にしませんでした。
    「人がやってないことをやりたい」ということでは、B・B(高樹)が人を殺す場面に丸一話使ったこともそうだし、効果として「見開き総ベタ」をやったのもそうです。「見開き総ベタ」をやったときは、担当(編集者)に「みんな、あえてやってないだけなんだよ」と言われたけど、「あえてやってもいいじゃん。やらないのと、できないのは違うんじゃねえの」と言い返して。
『B・B』から『“LOVe”』へ
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  • 次の『“LOVe”』はB・Bの娘を主人公にした異色のテニスマンガでした。
  • 石渡先生:
  • 『ケインとアベル』には『ロスノフスキ家の娘』という続編があるんです。アベルの娘が主人公で、アメリカ初の女性大統領になる話。だから、『ケインとアベル』にインスパイアされた『B・B』に続編があって、娘が主人公でもいいじゃない、という発想で。
     娘が小6のとき離婚して、何年か経ってたんですね。だから、娘のことはすごく意識していた。娘に向けて描こう、みたいな。でも、「娘が読んで面白いもの」を描こうとすると、間違っちゃうものなんですよ。つまり、「お父さんの目線」でキャラクターを描いてしまった。だから、キャラクターがみんな、僕の子どもみたいになっちゃってる。
     あと、これは自分ではコンプレックス、人に話すと自慢になっちゃうんだけど、僕、学生時代にモテたんですよ。こっちから告白したこともないし、ある女の子が好きで好きでしょうがない、というような経験がまったくなかった。女の子に憧れる、妄想する、という気持ちがボッコリ抜けていて、女の子をうまく描けない。それは本当、長年のコンプレックスで。「魅力のないマネキンみてえな女しか描けねえ」って、ずっと思ってたんです。
  • ――
  • なんだかイヤな感じですね(笑)。
  • 石渡先生:
  • いや、本当にコンプレックスなんだって(笑)。その意味では、『“LOVe”』は挑戦みたいな気持ちもあったわけです。「生身の女の子」を描こうと。でも、結局ラブ(ヒロイン)は「憧れの可愛い女の子」にはならなかったですね。だからといって『“LOVe”』が不本意な作品になったとか、失敗作だったという意味ではないですけど。
  • ――
  • 『“LOVe”』の最終回には驚きました。主要キャラのその後を一気に紹介する中、「医者になった瀬川継はラブと結婚した後、地雷を踏んで死んだ」とサラッと描かれていて。
  • 石渡先生:
  • あれはかなり早くから決めていました。ショックを受けた読者は多かったみたいですね。友達にも「なんで地雷で死んじゃうの?」と、未だに言われる。だけど、ここは描いておきたかったんですよ。実際、人生ってそういうこともあるだろうと。
    そういう思いは『B・B』の頃からありました。最後、B・Bは負けますから。少年マンガとしては勝たなければいけないでしょう。でも負ける。「本当の人生はそこからだろう」という気持ちがすごくあったんですよ。物語が終わった後もB・Bの人生は続く。「その先」の話だけ描いたら青年マンガになっちゃうけど、少年マンガでも、人生には「その先」があるんだということは描いておきたかったんです。
  • 【終】